母の日であり、父の日でもあるということ

世間的には5月の第2週日曜日である今日は母の日だけど、今日5/12は僕の父の命日でもある。

社会人大学院生として研究室に入ったばかりの2009年、胃ガンと診断された父親を見舞うために、僕は何度も慣れないハンドルを握って東京と信州の実家を往復した。少しでも旅費を節約するために、深夜のETC割引を使うので必然的に1時や2時くらいに出発して、到着が明け方の4時や5時くらいになる。

僕はその頃チャットモンチーの「告白」という新しいアルバムをヘビーローテーションで聞いていて、プジョーのエンジンをかけると間もなくして流れる「8cmのピンヒール」は、今でも聞くとこの頃の暗いイメージを思い出す。曲自体は全く暗いイメージはないのだけど、この頃の悶々とした印象が強すぎるのだろうね。

 

連休中は授業がなく、Amazonで安く入手した分厚い雇用問題の参考書を読みながら、僕は父親が横たわるベッドの傍らで一緒に残された僅かな時間を過ごすことくらいしかできなかった。

結局授業が始まるので東京に戻ることにしたのだけど、その後父の容体が急変したためにこの時に見たのが生きている父の最後の姿となった。「じゃあ俺、授業があるから戻るよ」ってことばをかけたのが最後だと思うけどうまく思い出せない。たぶん僕も多少なり気が動転していたのだろう。

 

その頃の光景は断続的なナースコールの音と共に、僕は今でもよく夢に見る。

 

自分ではできる限りのことをしたつもりだけど、もちろん悔いに残ることはたくさんありすぎて数えきれない。もっとうまくやれることはたくさんあっただろうし。

 

そして結局のところ、父がいなくなって僕にできることと言えば、父の存在をずっと忘れずに生きていくことと、残った家族が同じ状況になったときにどうするのか考えることくらいだ。こういうことであっても経験があるなしでだいぶ変わるだろうからね。

 

結局、残念ながら今週末は実家に帰ることができなかったけど、それでもなんとか連休中に線香をあげることができたので、また来月には墓の掃除にでも帰ろう。

 

親不孝な僕は毎月の月命日に墓参するなんて夢のまた夢みたいな感じの生活を送っているけど、たぶんこういうことも習慣だと思うので、なるべく意識してやってみたいところだ。がんばろう。