バイアスとの戦いは続いていく

毎月うちのお店で定例で行っている数学セミナーが昨日あった。今回は「ウワサ話とうまくつきあうには」というテーマだった。なんでこれが数学なの?と思う方もいると思うけど、数学の論理的思考力を磨けば、アヤシイ話に振り回されなくなりますよ、ということらしい。ふむふむ、なるほどね。

 

で、アヤシイ話に騙されずにきちんと自分の力で判断するには、バイアス(おそらく偏見とか先入観という日本語が最も適切だと僕は思っているけど、それでいいのかな?)について知っていなければいけない。

 

僕はバイアスと一番うまくつきあうには(客観的に判断するには)、「自分はたぶんいろんなバイアスを持っているから気をつけないと」って普段から気をつけることだと思っている。

 

逆に言えば、「私はバイアスなんて無縁だ、いつも冷静で客観的に物事を判断できる」と思ってしまうのがすでに立派なバイアスなんじゃないかと。なんだかパラドックスみたいな表現になってしまうけどね。

 

でも残念ながらそういうバイアスを持っている人って、世の中にたくさんいるみたいだ。僕もうっかり(というかしょっちゅう)バイアスに振り回されているけど、なるべくそういう人たちに近づかないように気をつけよう。でもこれも一種のバイアスじゃないの?って言われたら否定できないけどね。うーむ、弱った。まあいいか。

 

なんでもいいからアウトプットを続けてみよう

ずっとブログに何を書こうかなーって考えていたのだけど、いつまでたってもちっとも書けないので、「短くてもいいから、頻度を上げる」ということにして始めてみようと思う。mixiがまだ生きていた頃はそれこそ一日も欠かさず書いていたのだけど、実際ホントに日記みたいになってしまっていた(まあそれでもいいのかもしれないけどね)。

はてなに移行してからはもっとちゃんとした、読んだ人が「おお、読んでよかったなー」って思ってくれるものを書こうと思っていたら途端に書けなくなってしまう。そんなに気負いしなくてもいいのだけどねー。もっとさらっと書けるといいけど、しばらくは練習ですな。

というわけで、ネタがあろうがなかろうががんばってせっせと書いてみます。
宣言すれば続くかな?

みのもんたの番組降板報道で気になった3つのこと

いやー、気がついたらすっかりごぶさたしてしまった。

さて、今回の報道を見て僕がうーんって思ったのは以下の通り。

 

・なぜ報道番組だけ降板するのか

 

彼は他にもレギュラー番組を持っているはずなのだけど、どうして報道番組だけ降板するのか根拠がイマイチ理解できない。公の場に出ることが問題であればすべて降板するべきだし、じゃあバラエティには出ていいのかって思うのだけどね。

 

・そもそも次男の犯罪で父親が降板するべきなのか

 

未成年だったらともかく、30過ぎて親がどうのこうのって社会的責任を問われるのはちょっと疑問が残る。別に「息子がお騒がせしてすいません」と一言あればいいと思うけど。

 

・セクハラ疑惑はどこに行ったんだ

 

次男がどうこうより、女性アナウンサーの腰を触ったというセクハラ疑惑が最初の騒動だったと思うけど、それはどこに行ってしまったんだろう?そっちの方がよっぽど問題だと思うし、疑惑を解明すべきだと思うのだけど。

 

 

…というわけで、どれも中途半端でなんだかなーというのが感想。僕は彼のスタイルが好きではないので出演している番組は一切見ないことにしているけど、それでも30過ぎの分別ある(はずの)家族が起訴されたから降板するというのはちょっと違うんじゃないかという気がする。世間も彼に社会的制裁を加えるなら、本人が実際にやったことだけに絞るべきだと思うよ。

 

おそらく誰も話題にしていない、五輪決定の瞬間であれっと思ったこと

えっと、昨日に続き五輪ネタです。

 

僕はどっちに転んでもいいから発表の瞬間を見ておこうと思い(東京に決まるかどうかは正直五分五分かなーって感じでした)、大好きなプレミアムモルツも飲まずに眠った甲斐があったのかわからないけど、ぴったり5時に起きてテレビを見ていました。

 

で、いよいよその瞬間。

ジャック・ロゲ会長が開催地の書かれたカードを封筒から取り出して…

 

心の準備をするヒマもなく、まるでトランプのジョーカーでも見せるようにくるっと回して「Tokyo」と一言だけシンプルにつぶやいたのが印象的でした。

 

僕がびっくりしたのは、日本だったらここでもったいぶるんだろうなってことだったのね。

だいたいナントカ大賞って発表の時にはドラムロールが響いて、ビミョーな間があって、それからアナウンサーの絶叫と共にうやうやしく発表されることが多い。たぶん日本の民放だったら3回くらいCM入れるよ。

 

それだけに、あのあっけなさはとても新鮮に映りました。

 

そう考えるとあんまり大したことがないくせに、ごてごて装飾しているイベントって結構あるよね。

カドが立つから具体的には言わないけどさ。 

 

でも、これに限らず大切な一瞬ってホントにあっけないんだよね。

びっくりするくらいに。

2020, Tokyo

2020年の五輪開催地が東京に決まった。「東京有利」と言われながらも、結局はIOC委員による投票なのであんまり有利だという根拠がなく、僕はどこに転んでもおかしくないだろうなと思っていた。なので、決定した瞬間僕はテレビの前で喜ぶよりも、ほっとした気持ちの方が大きかった。ああよかったな、って。

 

今日いちにち周囲の反応を見ていると、喜んでいる人がいる反面、反対している人もちらほらいた。反対している人の多くは被災地を絡めたネガティブイメージを持っていて、大部分は以下の理由で賛成できないみたいだった。

 

 

・五輪開催に回す予算があれば復興にお金を使うべきではないのか

 

現時点では五輪開催による復興予算に対する影響というのが定かではないので何とも言えない。今まで予定していた復興予算を削って五輪を開催するならともかく、復興予算か五輪開催費かという二者択一の問題ではないだろう。やり方次第でいくらでも配分を考えることはできると思うんだけど。

 

 

・被災地が苦しんでいるのに五輪を開催すべきなのか

 

上記の理由が財政的な理由であることに対し、こちらは心情的な意味合いが強い。この問題は震災発生直後の自粛ムードの時にも思ったけど、僕は五輪を開催することが被災地の人々に対して悪いインパクトを与えるとは思えない。そもそも五輪だけが自粛対象となるべきなのかという疑問もあるし。

 

 

というわけで、個人的には五輪開催を楽しみにしたい。2020年に自分がいくつになっているんだってことはさておき。

4000対2722

NYC在住日本人が見た、イチローの日米通算4000本安打達成に関するとらえ方です。

なかなか興味深く読みました。

 

イチロー選手の4000本安打は米国でどう報じられたか?

 

印象的だったのは、イチロー個人の実績として4000本安打は賞賛されるべきだけれども(ジーターは「リトルリーグの記録であってもすごい」と敬意を表しています)、MLBの記録としてはまだ2722安打(歴代59位)に過ぎないからそんなに騒ぐことはないという考え方です。個人の実績と国内の記録は別に考えるべきだというロジックが、メディアやファンに対して普通に浸透していることにちょっと驚きました。

 

イチローが「あんな風にチームメイトやファンの人達が祝福してくれるとは、全く想像していなかったので」と話していたのは、おそらくこんな背景があったからなのかもね。

 

「自分にとっては日米通算4000本安打という節目の記録だけど、周りにとっては2722安打に過ぎないだろう」っておそらく本人が一番痛感していたんじゃないかな。だからこそ彼にとっては嬉しいサプライズだったので感激したのだろうね。

ワインバーの閉店に思う(ロングバージョン)

ある立ち飲みワインバーが、今月末をもって閉店することを知った。僕はワインにも詳しくないし、せっせと毎週通うような常連ではなく、どちらかといえば忘れた頃にふらっと現れるような客だったんじゃないかと思う。

 

でも振り返ってみると、僕のささやかな人生をたどる上でわりと重要なポイントとして今でも思い出すことができる。そっかー、そういえば僕はその頃こんな事を考えながらここで飲んでいたんだなって。そういうお店ってそんなに多くない。

 

こういう関係というのは飲み屋だけでなく、友達でも同じ事が言えるような気がする。しょっちゅう一緒にいる会社の同僚や研究室の仲間ももちろん一緒にいて影響を受けるし、楽しいし大切なんだけど、でも実家の同級生や遠く離れてしまった友達、OB会の時だけ顔を合わせるサークルの友達なんかもやはり同じくらい大切な存在なんだよね。

 

こういうのって、決して一緒にいる時間の長さや深さと相関がないのが興味深い。一緒にいる時間も濃さも全然少ないのに、それでもある瞬間のセリフやシチュエーションなんかをずっと覚えていることがあるのはなぜなんだろう?

 

おそらく相性というよりは、邂逅の方が近いような気がする。

相性度ってバロメータがあるのなら邂逅度もあってもいいよね。いつかソーシャルグラフで分析できる日が来るのかな。